@がんばらないで生きていく

小説ちょこっととお本の感想,その他趣味,星を観ます

日の記 5

5

 

授業というものは実に良く出来ているシステムだと思う.否,これは語弊があるかもしれない.とにかく私にとっては他人から受動的に学びを得られるというのはありがたいシステムのように思えるのだ.

ただただノートを開いて気が向いたら板書を写し,必要そうなことをメモしたり重要そうなことを目立たせて書いたりしてみせる.外から得た知識を自らの脳で再構築することこそが理解であると,私は考えている.

 

魔女

それは非日常的な存在

けれど神や天使や悪魔ではなかろう.

彼女は知らないことは理解すらないと言った.魔女にとっての理解というのは人間にとってのそれと同じものなのだろうか.

言語というものは実に不自由だ.

しかしそれは単に言葉が不便だということなのだろうか.そうではなくて感情が不自由なのではなかろうか.形にならないこれらの概念が更に抽象的な不自由や不便といった形容をされて,ことはどんどん理解から遠ざかっていく.

世界とはどこにあるのだろうか?

前を見てもそこには老いた教師と黒板があるのみで,それらと自分の間には黒い頭がいくつも並んでいる.これが世界だ.しかし,その景色の中に私は居ない.内部と外部.どちらを世界と呼ぼうものか.

理解という現象はそうそう起こらないものだ.むしろ理解が不要な世界ならばこんなにも頭を悩ませることはなかろう.

思ったままの感情を

感じたままの情動を

そのまま疎通できればと思う.けれど人間の仕組みにはそんな能力はない.

魔女は

彼女はそのシステムを持っている,ということだろうか.

それを目の当たりにして,私はそんなことを考えたのだろうか.

教授が黒板の前で教科書の音読をしている.

勿論,この講義に出席しているすべての学生がこの先生の音読しているものと同じ教科書を買うように指示されている.

そして私もそれを持っている.

けれど,

ただの音読なら家で自分でできるのだよと言いたい反面,それでもこの講義に意義を見出そうとする生真面目で気色の悪い自分がいて頭が重かった.

私は突然目の前に見えている世界に戻される.視界はみるみるクリアになっていき,さっきまで考えていたことは次々と忘れていく.そうして残ったのはこの授業をまじめに受けようとしている自分自身だ.

週に一度のこの講義だが,二コマ連続というのはしんどいものだ.

それでもこの講義に出席している学生は多い.

なぜならこの講義はテストの内容があらかじめ分かっており,あとは毎回の講義のどこかで唐突に始まる出席確認さえクリアすれば単位は保証されているのだ.

私はそんな軽い気持ちでこの講義に臨んでいるのではない

と思ってみた.

しかし,何も変わらなかった.

何も

何も変わらなかった毎日が

溢れんばかりの桜の満開が訪れて

そして一人の魔女が現れた.

もしかしたらそれは小説の一つでも書けそうな,何か物語の始まりそうな出来事なのかもしれない.

つまらない日常から抜け出す引き金になり得るのかもしれない.

けれども私は,本当にそれを望んでいるのかすらわからない.

そしてもしそう望んでいたとしても,それは魔女なんていう大がかりな装置によって達成されていいものではないような気も,心のどこかでしているのだった.