@がんばらないで生きていく

小説ちょこっととお本の感想,その他趣味,星を観ます

ほんとのところ

「ほんと」とか言っておきながらきっとどうせ本当のことなんて書けないと思う.

 

将来の夢の一つにドイツに土地を買って桑名六華苑みたいな,まあ要するに桜鳴六画邸を建ててそこでクリエイティビティに富んだよしなしごとをして老後を過ごすというのがあるけれどきっと今,うん十億円手に入れてそれができるとしても,70年後に同じうん十億でそれが叶うとは思えない.

今ある一年と70年後の一年は同じ一年だろうけれど,今ある1円は70年後の1円とは全く同じく機能しない.

もうほんと結構諦めていたけれど,まあこの後どう転ぶか分からないけれど就職先の御社は半年待ってくれるって言ってくれた.

そこに泣いてすがりついて頑張るしかない.

なんでそんな当たり前のことを書かなくてはいけないのか.

「ほんと」と銘打つと当たり前しか出てこない.

半年だけ住む予定の街をちょっと散策した.

良い町だなぁなんて思った.

くっそみじめだ.

私は一刻も早く学生を辞めたい.

なのにそう行動に移していないじゃないか?

じゃあきっとそれも「ほんと」じゃないんだ.

最近まで山の木の代表格の一つにダケカンバというものがあるのを知らなかった.

カンバっていうのは要は樺の木,シラカバもその仲間でこっちはシラカンバとも言うんだとか.

カムパネルラはいったいどこへ行ってしまったのだろうか.

悲しみを抱えてジョバンニは泣けばいいのだろうか?

そういう短絡的な思考しか私にはできない.

そうではないもので世の中溢れすぎている.

こと自分の研究の話になると,いや,世の中のどの研究者もそんなこと考えもしないのだろうけれど,と,それもきっと違くて分かった上でそうしていない,それはなぜなら論理的思考の外にあるからで,「ふつうは」ちゃんと結果をかっちりした形にできるものとして論文というものにまとめるのだと思う.

私にもそんなこと分かり切っている.

それができない.

自分にとってほんとうのさいわいを型で抜くようなことなんて,まあ結局やるしかないのだけれど,だから簡単に言うと自分の,自分にとってのほんとうのさいわいを,それが実は二次元平面上にy=f(x)なんですと言うようなもので,でもそれは実はハチャメチャな話なんだよ.見る人が見たら分かります.なんて言われてじゃあやっぱり世の中普遍的なほんとうのさいわいを定式化しなくちゃいけない.そんな矛盾してるようにしか思えない.

矛盾こそ人間でしょ?

そうじゃない.

これは研究なんだ.

論理的思考さえあればなんだっていい.

じゃあ論理的思考ってなんだ.

定義に基づいてそこから導かれるあれやこれやをこねこねして罰金バッキンガムしてさようなら.

私の考えだした最強の理論は結局小学4年生が初めて自分の性器をいじって快感を得た程度のくだらんお遊びでしかない.

中学二年生になったらもうだめだ.

ましてや大人になってしまったら当時の快感なんて思い出せもしないだろう.

中学二年生で自分の理論を周りに言いふらして相手の理論を聞いて回るようになってしまったらもうそこにほんとのところはない.

ましてや大人になって結果こういうことが導き出せますなんて仰々しい言葉で飾ってしまったらもうそこにほんとのところはない.

だから自分の考えをこうして文章に書いて「ほんと」のところなんて言ってみる.

でも結局どこにもカムパネルラはいない.

じゃあ全部嘘なのか?

と,またそんな短絡的な思考しか結局私にはできない.

もういっそ全部嘘であって欲しかった.

引っ越さなくちゃいけなくていろんなものを捨てた.

いや,きっと捨ててないものの方が多いけれど.

なんで心が痛いのだ.

くっそくだらん.

くっそくだらんくてくっそみじめだった.