@がんばらないで生きていく

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二年前の春にした旅について 2

 

 2019年三月三十一日.

 どうやら私はこの日の早朝に飛行機で長崎へと向かったらしい.

 ソラシドエアSNA031便 東京(羽田)発―長崎着 六時五十五分―八時五十分.

 大学生になるということはもしかしたら少し大人になったと勘違いするということかもしれない.

 一人で旅程を組み,一人で飛行機の予約を取り,そして一人で気の赴くままに旅先,歩みを進める.

 そうしたことを自由にできるようになったという優越感ももしかしたら始めのうちは持っていたかもしれない.

 この旅は長崎―熊本―大分と未踏の地を巡る予定となっていた.

 しかし最も重要なのは大分での出来事で,もしかしたらこの文章では旅の前半についてはほぼ語られないかもしれない.

 そもそも私はこの旅では特に湯布院に行きたい,という思いが強くあった.

 長崎については実は未踏ですらなく,ただの出発地点として都合がよかったために選んだ,と理解するしかないほど今となってはなぜ長崎をこの旅の出発地点に選んだのか知れない.

 熊本に関しても熊本城と水前寺公園に向かったという記憶しかない.

 水前寺公園には出店があり,その一つに晩白柚という巨大な柑橘が山のように積まれていたのを覚えている.

 私はこの晩白柚という果物が好きで,どういうわけか実家にいたころ父がよくもらいものとしてこの晩白柚を頂戴することがあり,よく家族で食べたものだった.

 写真を見返してみると,平成という駅の写真を撮っていた.

 なるほどと思った.

 私は平成の最後にこの平成という駅に訪れてみたいとそう思ったに違いない.

 その程度の軽い理由で熊本に一泊したのだろう.

 もし熊本で何か大事な出来事があったとすればそれはこの日が研究室所属希望の提出締め切りであり,私は旅先でその手続きをしたことであろう.

 現代電子社会ではこのようなことをしても平気な顔でいられる人間が量産されている.

 否,その手続きも,その研究室希望の順位付けもひどく心を痛めながら行ったから違う要因をもって平気な顔ではいられなかったかもしれない.

 しかしもし仮に平気だったとして締め切り当日まで手続きをせず,またその日に旅に出るというのは真っ当ではない.

 そう,真っ当ではいられなかったのだ.