@がんばらないで生きていく

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二年前の春にした旅について 3

 翌四月一日

 私は真っ赤な列車に乗って湯布院へと向かった.

 いよいよ旅の,そしてこの文章の主要部へと突入する.

 目的地に近づくにつれて立派なふたこぶの山が見えてきた.

 由布岳という.

 かねてより山が好きだった私はその姿にまず見蕩れ入った.

 そしてついに到着する.

 流石は人気の観光地である.

 人が多く訪れていた.

 この時期はちょうど菜の花の黄色が鮮やかだった.

 桜も七分咲きといったところでその調和がとても美しいと思った.

 私はなによりもまず温泉に浸からねばならぬと思った.

 この湯布院という地に来たのはたびたび両親の口から「湯布院は良かった」という話を聞いていたからであり,正直それ以上の情報は何も得ていなかった.

 ただこの地に来たのだということ.

 そしてその湯に浸かったのだということ.

 その事実さえ作ってしまえば私も「湯布院は良かった」と宣える一員になれると,早くそうなりたいと願っていたのだろう.

 真昼間から湯に浸かるというのは,これほど気持ちのいいことはない.

 私が訪れた温泉の,浴場入り口の上に大きな木簡が構えられていて,そこには種田山頭火もこの地を訪れたと,そしてあの山を見て登らずにはいられなかったと,そんなことが書かれていたように記憶している(記憶が曖昧だが確かに由布岳を良しとは言っていたはずだ).

 私は(私と母は),山頭火が好きだった.

 そののびのびとした自由律の俳句に心惹かれるところがあった.

 そうだ...

 私もあの山に登らないわけにはいかない.

 そこで私は翌日,由布岳に登ることを決めた.

 また2019年,つまり平成三十一年四月一日

 この日,日本国は翌五月からの新年号を発表することとなっていた.

 湯から上がると私は所持していた携帯端末で生放送を見ていた.

 令和

 官房長官が告げる.

 令和です.

 なるほどピンと来なかった.

 それは私にとっては,もちろんどの人類にとっても馴染みのある響きでは無かったから仕方なかろう.

 令和令和.

 と私は口の中で転がしながら温泉を後にした.

 川岸には一面の菜の花とその段丘の上には満開まであと数日といったところの桜の並木,そしてその背景に聳える由布岳

 その自然の描き出した情景は今でも目に焼き付いている.

 私は持参した小型のデジタルカメラで一生懸命に写真を撮った.

 写真を撮るという行為に夢中になって生の目で見るということをおろそかにしてはいけないと,思うことがよくある.

 私は確かにこの目であの情景を見,そして取り出しやすいところに,意識して目立つ印を付けて収納した.

 きっと忘れることはない.

 その鮮烈な絵と裏腹にとても寒かったその気温も一緒に覚えている.

 散策しているとビールが飲める施設につき当たった.

 私は迷うことなくビールとつまみのチーズを注文することにした.

 由布地ビールというものだったのだろう.

 そこで私は青空を仰ぎながらビールを飲んだ.

 そしてもう一度口の中で令和令和と転がしてみる.

 なるほど,こうしてみると恰好良いではないか.

 それは平成という言葉の恰好悪さを引き合いにして語ることになるかもしれない.

 つまり,平成という語はピンクやライトブルーのパステルカラーを白で伸ばしてムラなく一筆に塗りつぶしたようなイメージを想起させる.

 一方でこの令和という語は,その令の字が「冷」の音と同じ「レイ」であるように,ある程度の冷たさをもった深い海のように澄んだ,そして切れのあるイメージを想起させる.

 それは猛々しい日本海ではない(太平洋は論外である).

 そして私はまだそのイメージに合う海を見たことがない.

 後日私はオホーツク海を見るのだが,季節の問題もあるかもしれないがそれもまた違っていた.

 初春の令月 気淑く風和らぐ

 ここから取って令和だという.

 素敵だと思った.

 私はすぐさまこの令和という語が好きになった.

 私は湯布院に二泊同じ宿に宿泊する予定だった.

 湯布院は人気の観光地とだけあって宿も高い.

 私は中心街から少し外れた安宿に素泊まりで二泊予約していた.

 宿に着くと経営している夫妻は日本人ではないことが分かった.

 電話越しでは少々言葉が躓きがちな人だなと思ってはいたものの地方特有の訛りだと思っていたがそうではなかったらしい.

 二泊分の宿代を前払いし,私は部屋で休息した.

 一泊目は地方出張だという自衛隊員と相部屋だった.

 かなり若く見えた.私とそう離れていなかったと思う.

 しかし彼こそは日本人であるもののその訛りが非常に強く,私は全然彼の言っているところが聞き取れなかった.彼が自衛隊員であるかどうかすら怪しい.

 そもそも自衛隊の地方出張で一人でこんな安宿に泊まるなんてことがあるのだろうか?そんな疑問を持ったところでぶつけることもできず,ここに湯布院の一泊目が幕を閉じた.