二年前の春にした旅について 4
翌日は朝早くに宿を出て由布岳を目指した.
バスで登山口まで向かい私は勢いよく登り始めた.
登山は好きだ.
この身をもって一歩一歩目標地点に,物理的に近づいていけるというこの感覚が心地よい.
この日は雲量六程度の晴れだったが山頂はどうだか分からない.
少々の不安はあった.
しかし登山客,それも老人もちらほらいたので私はとにかくこの,山頭火も良しと言った由布岳を一歩一歩踏みしめた.
由布岳はふたこぶの山であり東峰と西峯とがあり,東一五八〇に対し西一五八三.五と少し高い.
その左右の分岐路についたとき,左手側は垂直の鎖場となっていて私は慄いた.
またこのとき雪も降り始めていて西峯を登るのは諦めようと考えていた.
この分岐路では人がたむろしていて特に老人たちが霧氷だ霧氷だと植物の白化粧を愛でては嬉々としていた.
この季節の霧氷は珍しいと教えてもらうと私もたちまちその美しい自然現象を目でよく観察した後,写真を撮った.
右手に進んで東峰に登頂すると雪こそは止んだもののさながら雲の中だった.
しかし,なんとなくすぐにこの雲も退くだろうという楽観が私にはあった.
東峰の頂上には同じ登山客のおじさんがおった.
私が西峯の方を見ていると,あちらには行きましたか?と聞くので,行けるのですか?と返した.
するとそのおじさんは今から行くので一緒に行きましょうと私を案内してくれた.
今一度分岐路に戻ってくると見事なまでに晴天となった.
私はそのおじさんが身軽にも垂直の鎖場を乗り越えていくのを見様見真似でついていった.
これが私にとって初めての鎖場であった.
西峯に着くとおじさんは昼食を広げ始めた.
私はこのとき昼食はいつどのようにして取ったのだろうか?全く記憶にないが,私はおじさんにお礼を言うとそそくさと下山し始めた.
この日もまた湯布院の湯に浸かることも考えたが,私は少し違うところで温泉に入ろうと考えた.
大分と言えば別府もまた有名な温泉地であった.
私はその中でも無料で入湯できるという市民施設へとわざわざ向かい,そこで登山の疲れを癒した.
この時の私が他人からどう見えていたのかは分からない.
将来のことに対する漠然とした不安や自身の劣等感は登山の疲れとどっちが大きかったか分からない.
温泉の外のベンチに腰かけていると自転車に乗ったおじさんが,どうしたの?と声をかけてくるものだから,疲れてしまって,とか適当に答えたのだと思う.
逃避行と言えど贅沢にお金を使ってただただお旅行しているのと何ら変わりはない.
こんなことしていていいのだろうかと私はさらに自己嫌悪に陥っていたと思う.
大学生?とかどこから来たの?とかいろいろ聞かれて適当に受け答えしていたら以外にもこのおじさんは私の通っている大学を知っていて,私は少し驚いた.
コーヒーでも奢るよ,なんて言われたので私は少し嬉しそうして,いいんですか?なんて言いながらおじさんについていった.
自販機の前で好きなの選んでと言われたので私は迷わず無糖を指定した.
おじさんはボタンを押すと缶コーヒーを拾い上げ,じゃあうち来なよ,と言って自転車をこぎ始めた.
私は大いに焦った.
太古の昔より知らない人についていってはいけないと教わってきた.
それはなんとなく立派な大人にならなければいけないという,濁った強迫観念と,けなしたように言うことは確かにできるかもしれない.
私は勝手に自分が不自由だと思い込んで,そういった実体のない何かに縛られていると思い込んでいたのだと思う.
しかしこの時だけは自由への背徳感が私をおじさんの後へと押しやった.